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岩手に行ってきました

  • 2014/07/29(火) 15:59:33

妹と二人で岩手に行ってきました。
午前0時群馬発、東北道をひたすら北上して
6時間で金色堂着です。

睡眠は車中で3時間。
寝起きの老いっぷりヤバかった。

DSC_0700.jpg

朝イチで中尊寺金色堂へ。
奥州藤原氏やら源義経と弁慶やら出てくるので
ああ『遥か3』やり直してから来ればよかった
切実に思いました。

妹「遥か3では誰が好きだったの?」
私「梶原景時と……」
「ああ!景時ってここの説明に出てきてる!」
「あとは譲くんかな」
「譲くんって誰」

DSC_0701.jpg

“五月雨の 降り残してや 光堂”

この有名な句を松尾芭蕉が詠んだことでも有名ということで
つくづく『ギャグ漫画日和』も読み返してくれば
良かったと反省しております。


「五月雨の 降り残してや」
「べにましこっ!」などとふざけている、
歴史にまるで興味のない
修学旅行生レベルの失礼さです。

ごめんなさい芭蕉さん。


DSC_0702.jpg

その後、花巻の『宮沢賢治記念館』へ。

故郷岩手を愛し、
自身が空想した理想郷「イーハトーヴ」のモデルとした賢治の世界。

私は宮沢賢治に関しては小6の時『やまなし』を読んで
「んっだよクラムボンって!」とその独自の世界観に戸惑い、
『雨ニモ負ケズ』の高すぎる理想に微妙に反発しておりました

しかし詩集を買って読んでみて、
花巻農学校の教師として生徒に向けた詩
『決別』『生徒諸君に寄せる』に感激しました。

けれどもいまごろちゃうどおまへの年ごろで
おまへの素質と力をもってゐるものは
町と村との一万人の中になら
おそらく五人はあるだろう

それらのひとのどの人もまたどのひとも
五年のあひだにそれを大抵無くすのだ
生活のためにけづられたり
自分でそれをなくすのだ

すべての才や力や材といふものは
ひとにとどまるものではない
ひとさへひとにとどまらぬ

云はなかったが
おれは四月にはもう学校にいないのだ
恐らく暗くけはしいみちをあるくだろう

そのあとでおまへのいまのちからがにぶり
きれいな音の正しい調子とその明るさを失って
ふたたび回復できないならば
おれはおまへをもう見ない

なぜならおれは
すこしぐらゐの仕事ができて
そいつに腰をかけてるやうな
そんな多数を一番いやにおもふのだ

(『決別』 宮沢賢治 一部抜粋・行間は引用者による)


巣立つ教え子へ、持てる限りの愛情と厳しさを注いだ詩です。
宮沢賢治は教壇を去ったのち、地元民に根差した活動をと
病気を押して農業技術伝授やら炭鉱会社やらと働き通したのですから
全く生徒にこの詩を贈るに何の引け目もない人生です。

創作活動はもちろんのこと、地質学や天文学、語学にも
興味を持って取り組んだのですからすごいですね。
私も小1の時担任の先生に教わった『星めぐりの歌』は
「綺麗な言葉だなあ」と思った最初の文でした。


『星めぐりの歌』 作詞:宮沢賢治

あかいめだまの さそり
ひろげた鷲の  つばさ
あをいめだまの 小いぬ、
ひかりのへびの とぐろ。
オリオンは高く うたひ
つゆとしもとを おとす、

アンドロメダの くもは
さかなのくちの かたち。
大ぐまのあしを きたに
五つのばした  ところ。
小熊のひたいの うへは
そらのめぐりの めあて。


宮沢賢治作詞だと知ったのはもっと後ですが。

仏教に傾倒して(実家は寺ですが)友人にも入信を勧めまくったなどと聞くと
友達にいたら微妙に付き合いづら気がしますが
世間でなんとなくイメージされている「病弱」「天才肌」といったものからは
程遠い人生であったのだと思いました。

DSC_0703.jpg

お土産店兼レストラン「山猫軒」は
名前からして『注文の多い料理店』一択で
推してましたけどね。

まあねー、宮沢賢治作品の中ではダントツで明快な話だもんね。

DSC_0704.jpg

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この日はあとワイナリーでワイン一本買って、
ビジネスホテルに宿泊しました。
郷土料理のある居酒屋で夕飯。

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「吉次」という魚の煮つけ。
地酒も料理も美味しかったのですが
隣のテーブルに座った地元民の猥談がひどくて
いくらこっちが18禁乙女ゲープレイヤーでも
いい加減にしろと言うぞゴルァ

叫びたくなるレベルで不快でした。



翌日は盛岡へ向かい石川啄木記念館へ。
なんてアカデミックな旅でしょう。
もう一泊できれば青森の太宰まで見たんですけどね。

DSC_0709.jpg

啄木と賢治は生年はちょうど10年違うものの、
奇しくも同じ岩手生まれの盛岡中学在籍(啄木は中退)、
共に教員経験のある文学者です。

しかし二人の人生を追ってみればね、
賢治が上記の通り理想郷に生き理想を追って生きた
(もうちょっと生臭い話もなくはないですが)のに対して

啄木ときたら中学じゃカンニングするわ
19で周りの反対を押し切って恋愛結婚したかと思えば
妻子を置いて東京に創作活動に行っちゃうわ、

そこで金田一京助に蔵書を売ってもらってまで
おんぶにだっこの生活してたら
妻子が上京してきたもんだからって邪険にするわ、

それを苦にして妻子が実家へ戻っちゃえば
「妻に帰ってきてくれなんて僕からはとても言えない、
僕をなんと罵ってもいいから君から妻へ戻るよう説得してくれ」

金田一に泣きつくわ、

でも誌面を通して短歌の指導を仰いできた女学生に
「次は君の写真を同封してくれると嬉しいなって
手紙書いちゃうわ、もうお前ホンットダメダメな!という人生で
どうして自分が歌人の中で
ダントツ啄木が好きなのか
よくわかりました。


教員時代のエピソードってほとんど聞かないから
いい加減にやっていたのかと思いきや
小学校教師なのに放課後英語の特別補講を開くなど大変熱心だったそうですが
「日本一の代用教員」
自称しちゃうあたりがやっぱり愛しいですね。

でも結局

非凡なる人のごとくにふるまへる
後のさびしさは
何にかたぐへむ


とか自嘲しちゃうんですから。

賢治は一生を社会に捧げ、その中で創作を行ったという印象です。
しかし啄木は本音を言えば自分のことだけしていたかったのではないでしょうか。

19で恋愛結婚っていうのも、如何にもロマンチストですが、
やっぱり稚くてそこに付随する「生活」の重さを
想像できていなかった気がします。

私なんか31だっつのに結婚してる友達見ると
「……まだ自分の金で好きなことしてたいかな」って思うからね。

昔『トリビアの泉』で
「“働けど働けど我が暮らし
楽にならざり
ぢっと手を見る” と詠んだ詩人の石川啄木は
金田一京助に借金をしまくっていた」
と紹介されていましたが
啄木は二十歳前後ですでに妻子と親まで
養わなければならず、
そのために新聞社に勤めては
辣腕のライターとしてペンを振るっていたのです。

しかし自分が本当にしたいのは創作だ、という想いがずっとあり、
生活費と言うより本の出版の為に借金をしたとも言えるわけです。

かなしきは
飽くなき利己の一念を
持て余したる男にありけり

こころよく
我にはたらく仕事あれ
それを仕遂げて死なむと思ふ

先んじて恋のあまさと
かなしさを知りし我なり
先んじて老ゆ

新しき明日の来るを信ずといふ
自分の言葉に
嘘はなけれど――

(『一握の砂・悲しき玩具』 石川啄木)


これらの歌を見れば、啄木が己の矮小さをいやというほど知りながら
思うようにならないこの世に一縷の望みを託しながら
なんとか生きようとしていたことが分かります。

それにしても中学の後輩というだけの啄木を
生涯にわたってその才能に惚れ込み、金銭的にも何くれとなく
援助をし続けた金田一京助。

途中でさすがに啄木にイラッとすることもあったようですが
啄木の死後はそれを悼む歌を何篇も書き、
「友達が啄木を貧乏臭いと批判しますという女学生の悩み相談には
「そんな友達は心が貧しいのです」と返事してのける
金田一の愛情ったらハンパないですね。

義経と弁慶とか、芭蕉と曽良くんとか
啄木と金田一とか、なんだかやたらと
主従萌え、子弟萌えを推される旅です。


DSC_0710.jpg

啄木の母校であり勤務先でもあった渋民小学校。

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昼は盛岡で冷麺。「元祖」らしいです「食道園」。
妹が普通、私が辛口を食べましたがそんなに違いはなかったような。
カクテキの辛さが違ったかな。

その後は岩泉へ移動し、龍泉洞を見る予定でしたが
意外と時間が経ってしまいどうすっか、と思いつつ一休み。

DSC_0714.jpg

元分校だった建物を改築したのかな?三田貝分校道の駅。
給食メニューとかがレストランにありました。
この手の店で必ず出てるのが「揚げパン&ソフト麺」なのですが
私は一度も学校給食で揚げパン&ソフト麺を食べたことがありません。

いつごろまで出てたのソフト麺?
現在アラサーの人たちも知ってるのソフト麺?


龍泉洞に行けなくもないけど微妙な時間になったな、という
午後4時頃、「お金をおろしたい」と言う妹の希望で寄った
岩泉郵便局の向かいに思いもかけず良い散歩道を発見しました。

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「てどの蔵」。地元の方々が集まって
名産品を手作りする工房を公開しているのだとか。
発足当時は結構話題になって取材も多かったとのことですが、
近年は作り手さんの高齢化も相俟って
あまり宣伝されず、ひっそりと行っているようです。

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草木染をした毛糸を紡いでいるおばあさんと
布を編み込んだ草履を作っているおじいさん。

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養蚕業が盛んだったとのことで、群馬とは疎開先、
出稼ぎ先として交流があったとよく話を聞かせてくださいました。

また昭和30年代は炭鉱の町としても栄えたらしく、
炭鉱夫たちの町として昔懐かしい飲み屋街が連なっておりました。
半分以上は閉店してしまったそうですが、
まだ営業している店もあるそうです。

たまたま来ていたという地元のおじさん(熊谷さん)が
街中を案内してくれました。

DSC_0720.jpg

DSC_0719.jpg

地元の酒造「八重桜」。
奥さんが丁寧に案内してくれました。

試飲もさせてもらって、東北ならではの
すっきりした飲み口とふくよかな味わいを気に入って
買おうとしたら「今日はお店休みだからホテルで買って!」と言われました。
オッケーママ。

DSC_0725.jpg

賢治、啄木と同じ盛岡中学卒業の熊谷さんと
おもてなししてくれたおばさん(名前聞くの忘れた)。
※ブログ掲載許可は得てあります。

「(賢治とか啄木とか)先輩が有名だからこっちはやりづらかったよ!」
「俺たちの頃は勤労奉仕で戦争終わるまで授業なんかなかったよ!」

私が唯一人より話せる時代の生き証人とお話できて
時間つぶしのつもりが気付けば旅館に
「スイマセン遅れます」と電話するまで話し込んでいました。

「今はひっそりしちゃったけどこうしてあなたたちみたいな方が
来てくれて少しでもここの話をお友達にしてくれたらねえ」
とのことですので
宣伝しておきます、昭和の素朴な街並みや伝統工芸が楽しめる
「てどの蔵」、公式サイトは→コチラ


予定の時間を少し過ぎて着いた宿はこちら。

DSC_0727.jpg

温泉に浸かって夕飯をいただきました。
「八重桜」は食堂には純米酒が置いていなかったので
売店で買って部屋飲みしました。

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DSC_0729.jpg

個室なら何とも思わないんですけど、
食堂形式のところで食べ物の写真撮るのって
なんか悪い気がしますよね……でも撮っちゃう。

色々なものがちょっとずつ出てきて、
飲みながら食べたい派にはありがたかったです。

食堂では地ビール1本と地元ワインハーフボトルを飲み、
部屋で日本酒4合を飲んで就寝です。


翌日はちょっと早めに宿を出て龍泉洞へ。

DSC_0731.jpg

龍泉洞は子供の頃家族旅行で何度か来たのですが、
大人になって来てみたら
メッチャ寒くて階段が急で膝笑っちゃって
もう年齢的に地底湖も見納めだわ
と思いました。

70過ぎでバリバリ来てた祖母ちゃんパネェ。

DSC_0736.jpg

いつ見ても恐ろしくなるほどの透明度です。


さて、岩手の旅も終わりに近づいてまいりました。
上記の通り、岩手には何度も来たのですが
「要は蕎麦だろ」と言う両親の元では一度もチャレンジできなかった
名物・わんこそばを一度は試そうじゃないかと姉妹でやってまいりました。
老舗「東家」。

DSC_0741.jpg


わんこそばってどうしてあんな小分けで出されるのかって言うと、
昔は大勢のお客さんが来た時に
一度にたくさんの蕎麦をゆでられなかったそうなんですね。

で、少しずつ出して食べてもらっている間に
次の蕎麦をゆでる、というスタイルが始まりだったそうです(諸説あり)。

なので店内に入ると「わんこそばですか?」と聞かれ、
そうだと言うと二階の広間に通されます。

大人数の時に食べるもの、という伝統を再現してるらしいです。

DSC_0737.jpg

この薬味に蕎麦の食べ放題、デザートがついて3000円ほど。
一番は人件費でしょうね
皿洗いは大変だわ1グループに1人店員さん必要だわ。

椀15杯でもり蕎麦1人前、女性だと30~40杯、
男性だと50~60杯が平均で、100杯以上食べたら手形がもらえるとのこと。
有名な話ですが「ごちそうさま」の時は椀を閉じねばならず、
たとえお腹いっぱいでも椀に入れられた蕎麦は食べなければなりません。
「ただし吐いたら0になります!」
店員さんの注意がマジだった。

待っている間、近くのテーブルで食べていたおじさんが
96杯でギブアップしていて
「あと4杯で手形もらえますよ?」と店員さんに言われていたにもかかわらず
「ムリ!もうムリ!」全力で拒んでいたので
ああ本当に手形貰うのは大変なんだ……と思っていました。

「朝いつもよりずっとちゃんと食べちゃったからなあ……」と
旅館のしっかりした朝食をやや恨みつつスタートです。

店員さんが「ハイまだまだ~」「ハイじゃんじゃん~」などと
声をかけながらどんどん椀に蕎麦を入れてくれます。

DSC_0738.jpg
こんなカンジ。

蕎麦にはつゆがしみていてね、
あっさりしていて本当に飽きの来ない味になっていましたよ。
本当に美味しかったです。

薬味くれたから色々入れましたけど、
ねぎともみじおろしだけでも行けたと思います。

……群馬県民ってね、麺類好きなんですよ。
街にはうどん屋蕎麦屋スパゲティ屋が立ち並び、
小麦粉の消費量もタコヤキ国大阪、
うどん県香川に次いで
全国3位とかなんです確か。

それにしたって100杯余裕すぎだろと思いました。

写真

記録、私104杯、妹120杯。
「美味しく感じてるうちにやめよう」と止めたのがここです。
がんばればお互いあと10杯くらいはイケたと思いますが
まあ、せっかく美味しいものを無理矢理食べるのは
失礼だと思うので。

合計224杯。

azumaya.jpg

これは全員貰える認定証。

DSC_0743.jpg

これが100杯以上食べた人だけもらえる手形。

いやでもね、ホント、一杯ってホントに一口ですよ。
30杯でやめたりしたら一口100円ですよ。

私、普段から「食べるより飲む量の方が多い」って言われるくらいですし
「出されたからには食べる」が信条なので
1人前は食べますけど
おかわりしたり大盛り頼んだりなんてしたことないですもん。

それでも100杯いくんですから
そんな大したことないと思います。

写真 (1)

せめてここのベスト10に載るくらいはしないと
いばれませんね。
1位559杯って……

高速6時間かっとばして帰ってきました。
群馬暑っちい――――――!!

岩手の皆さん、お世話になりました!楽しかったです!

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